【俳句人名辞典】・・・か・・・
「か」の付く人名
・櫂未知子(かい・みちこ)1960(昭和35)・9・3-・北海道生・「銀化」・『貴族』『蒙古斑』・<都はあるか水餅さびしくはないか><新宿は永久機関つばくらめ><華のあるものを食べたき彼岸かな><白梅や父に未完の日暮れあり><簡単な体・簡単服の中><腹水の彼方に冷えた海が鳴る><名を捨ててみよう焚火の頂点へ><時効だと告げる運河に雪降れば><一線をを越えて守宮となりたまふ><いきいきと死んでいるなり水中花><さびしさうだから芒を三つ編みに><冬陽ほら全く気前よく沈む><ねむられぬあなたの毛皮代はりだと><雪まみれにもなる笑つてくれるなら><万緑の底に棺桶用の樹よ><父親になりたいですか天の川><ひとりでも生きられるけど堀炬燵><暗中模索して湯たんぽに至る><・ひばりひばり明日は焼かるる野と思へ>
・甲斐のぞみ(かい・のぞみ)1973(昭和48)・7・5-・下関市在住・「百鳥(ももとり)」・〔第七回百鳥賞〕・<稲の香や我の信ずる道のあり><みづうみのしずかなる日の胡麻叩く><生れし子を両手に受くる星まつり>
・甲斐遊糸(かい・ゆうし)1940(昭和15)・12・16-・東京生・「百鳥(ももとり)」・『冠雪』『月光』・<殉教も棄教も悲しほととぎす><縄とびの百人の縄地を叩く><片腕に点滴の管神の留守>
・甲斐ゆき子(かい・ゆきこ)富士宮市在住・「百鳥(ももとり)」・<聖夜劇脚本少し書き直し><小説を読みて客待つ焼薯屋><噴水の高き新郎新婦かな>
・甲斐よしあき(かい・よしあき)〔本名、住晶〕:1948・5・4-・静岡県富士市生。大阪府茨木市在住・「百鳥(ももとり)」「晨(しん)」・『抱卵』(2008・5)・<海に生れ山に嫁ぎて目刺焼く><討たれしは十六とあり残る花><原爆忌抱卵の眼の厳しかり><産み月を迎ふ障子を洗ひけり><百年の計なき国の蚯蚓鳴く><豊年や十円切手貼り足しぬ><朝顔やわれを忘れし母を訪ふ><台本のせりふを削る子規忌かな><露の世の書棚に古りし『資本論』><教室に凛とわが声落葉の日><石蕗咲くや今しあはせと文にあり><海に生れ山に嫁ぎて目刺焼く><修司忌の出会ひがしらの夏帽子>
・海城わたる(かいじょう・わたる)〔本名、済(わたる)〕1911(明治44)・9・29-2002(平成14)・11・6・広島県生・「かつらぎ」「雨月」「熊野」「黄鐘」「ひいらぎ」「葡萄棚」・『航路』(昭和63)、『南十字』(昭和57)、『俳句随想』(平成14)・<雲の峯ひた航く船に近づかず>
・海藤抱壺(かいどう・ほうこ)〔本名、寛〕1902(明治35)5・13-1940(昭和15)・9・18・宮城県仙台市生・「層雲」荻原井泉水に師事した自由律の俳人。肺結核の闘病生活が永く聖書に親しみ、俳句に安心立命を求めた。東北行脚の山頭火が見舞った。・『三羽の鶴』(1934・12)、『海藤抱壺集』(1984・9)・<獨楽のごと澄みきりタンポポぞ><クリストの齢なるこそ女に触れぬ我身こそ><かつこう鳴いてひと日ふた日と泊つて下さる:山頭火へ><寂しさわかる心にあへば別れる><夢にも匂ふ桃が枕元><落書のやうな命消えもせず春>
・鶏冠井令徳(かえでい・りょうとく)〔九郎右衛門、別号、梨柿園〕1589(天正17)ー1679(延宝7)・京都・古くからの貞門なるも晩年は置き去りに・『崑山集』『俳諧四十余年』『良薬抄』・<馬合羽雪打ち払ふ袖もなし>
・各務支考(かがみ・しこう)
〔別号、東華坊・西坊・見瀧・獅子庵・是仏坊・蓮二坊〕1665(寛文5)-1731(享保16)・2・7(66歳)・美濃國生・僧侶のち19歳で還俗・蕉門十哲とされ、美濃派の始祖となる。芭蕉没後は伊勢山田に草庵を結び、郷里美濃とを二大基地として、京都、北越など全国に遊吟の旅を三十余年続けた。・<旅たゝん今降雪を笠の花><降雪に淡路は夢の心地也><娑婆にひとり淋しさ思え置火鉢>・【蕉門十哲:<杉山杉風さんぷう><宝井(榎本)其角きかく><服部嵐雪らんせつ><内藤丈草じょうそう><森川許六きょりく><立花北枝ほくし><各務かがみ支考しこう><向井去来きょらい><志太しだ野坡やば><越智おち越人えつじん>・以上諸説の中の一つ。代わって以下の門人の中から入る事もある。・<河合曾良そら><広瀬惟然いねん><服部土芳とほう><天野桃隣とうりん>】・加賀美子麓(かがみ・しろく)〔本名、一三男。別号、石璋せきしょう〕1912(大正1)・1・3-1992(平成4)・10・14・山梨県甲府生・「ホトトギス」「萬緑」。「麓会」主宰・『雪は天から降ってくる』(1978・12)、『火度』(1987・8)・<一事終ふ卓に映れる夜の梨>
・【加賀千代(尼)】(かがの・ちよ(に))〔号、素園〕1703(元禄16)~1775(安永4)・9・8(73歳ー金沢の専光寺に「千代尼埋骨之処の碑」)・加賀松任の生まれ・表具師の娘・(諸事異説多し)・各務支考に師事・大衆的、通俗的俳句は子規の酷評依頼、現代俳句では写生(描写)句でないというだけで否定されるが、俳人以外での人気は女流俳人最高の名手として高い。・『千代尼句集』『四季帳』・<朝顔に釣瓶とられて貰い水><蜻蛉釣今日はどこまで行ったやら(我子を失ひける時)><渋かろか知らねど柿の初ちぎり(嫁する際に)><起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな(夫を失ひける時)><手折らるる人に薫るや梅の花><夕顔や女子(おなご)の肌の見ゆるとき><分け入れば水音ばかり春の草><淡雪や幾筋消えてもとの道><月も見て我はこの世をかしく哉(辞世)>
・鍵谷芳春(かぎたに・ほうしゅん)〔本名「芳春=よしはる〕1906(明治39)・5・10-***・奈良県生まれ・「鹿火屋」に投句・原石鼎に師事・吉野郡東吉野村で林業を営む。・俳句は虎鬚と号した父寅太郎の勧めで中学5年ころから始める。・<侘しさは雲さだまらぬ睦月雲><日のにごり月のにごりや楡芽ぐむ><濡れ足袋の紺にほはしし落花踏む><この道や井氷鹿の国の駒繋ぎ><所在なく炭火つつけば痩せにけり>
・柿本多映(かきもと・たえ)1928(昭和3)・2・10-・滋賀生・「草苑」「白燕」「犀」・『夢谷』『蝶日』『花石』『粛祭』(2004)・<月代や石をめくれば水滲む><立春の夢に刃物の林立す><鳥帰る近江に白き皿重ね><桃咲くや迷ひたく入る寺の門><頭蓋いま蝶を容れたるつめたさよ><海市(かひやぐら)あまたの足袋の干されゐる><門前に土筆が生えて暮れかねる><喉元を過ぎてしまつたつくしんぼ><なんばんぎせる頬杖をつき損じ><居ながらに骨は減りつつ新牛蒡>
・【鍵和田禾由子】(かぎわだ・ゆうこ)1932(昭和7)・2・21~・神奈川県生まれ・「未来図(みらいず)」主宰・『未来図』『光陰』『風月』・<大き蟇月ある方へ歩みけり><しぐれきてほとほと都とほき寺><くれなゐといふ重さあり寒椿><庵主てふ花の嫗となりしかな><夏椿思慕のかたちに落ちにけり><目凝らせど佐渡は見えざり星の恋>
・角田竹冷(かくた・ちくれい)〔姓は(つのだ)とも。本名、真平。別号、聴雨窓・閑々人・頓々房〕1857(安政4)-1919(大正8)・3・2《聴雨窓忌》・駿河(沼津)生・衆議院議員。東京株式取引所理事・「秋声会(紅葉、小波と結成)」・『聴雨窓俳話』『秋の声』『木太刀』・<若草や握飯なんど広げたる><帰るさに宵の雨知る十夜哉><傘さして小舟出しけり春の海><元朝や軒は古りても富士の山>
・角谷昌子(かくたに・まさこ)1954(昭和29)・2・23-・東京生・「未来図」・『奔流』・<海照るやくをん久遠と鶴のこゑ><帯解くや冬浪の音寄せ来たり><復活祭人も獣も乳を欲り>
・【加倉井秋を】(かくらい・あきを)〔本名昭夫〕1909(明治42)・8・26~1988(昭和63)・6・2・茨城県生まれ・「馬酔木」「若葉」、「冬草」主宰・富安風生に師事・「諷詠派」創刊。結核自宅療養後の'55愛媛療養所機関誌「冬草」雑詠選者となり、'59より同誌を東京に引きとって主宰。・日常身辺の素材を軽妙に詠う・『胡桃』(S23)、『欸乃(ふなうた)』(S49)、『隠愛(なびはし)』(S54)、『午後の窓』(昭和30)、『真名井』(昭和43)・<藁半紙色の月出てメーデー終ふ><炎昼の白に戻りしビラ剥がす><折鶴のごとくに葱の凍てたるよ :「胡桃」><伊狹庭の湯はしもさわに梅咲けり><愛しきれぬ間に天道虫掌より翔つ><待つ明るさ夏うぐひすの次の声><寒月を一寸仰いでさっさと行く><鳴らざれば気づかざりし桐は実に><坂のぼる人ばかりなる夕桜><思ひ出すには泉が大き過ぎる><笹鳴や妻いくたびも燐寸擦る>
・【景山筍吉】
(かげやま・じゅんきち)1899(明治32)・3・15~1979(昭和54)・7・23(八十歳)・京都市生まれ。東大経済学部卒業。逓信省~藤倉化成㈱社長へ。・俳句は友人にすすめられて始め、高浜虚子に師事。「若葉」「ホトトギス」同人。俳人協会評議委員。・昭和30年「草紅葉」を創刊主宰。昭和11年2月3日中村草田男結婚の媒酌をする。・句集「熱燗」(昭和28)、「萩叢」(昭和29)、「虹」(昭和37)、「マリア讃歌」(昭和51)。『白鷺』(昭和53)・<熱燗や性相反し相許し :「熱燗」><春昼のセーヌ河畔の古本屋 :「熱燗」><新茶汲み「ミサと茶道」を神父説く:「白鷺」><桜桃や人疑わず修女老ゆ:「白鷺」><春浅しマリアに灯る細き燭:「白鷺」><風鈴や語りて過去は美しく:「白鷺」>
・景山わこ(かげやま・わこ)1954(昭和29)・7・16-・一宮市在住・「百鳥(ももとり)」・<冬銀河ワルツ踊りに行かれしと><陽炎や錨に付きし貝を取る><夏座敷絞り木綿を商へり><山国の夕日は高し草の花><初雪や大事な手紙出しに行く><水音の真つ只中の桜かな>
・加古宗也(かこ・そうや)1945(昭和20)・9・5-・愛知生・「若竹(わかたけ)
」主宰・『舟水車』『八ッ面山』・<心字池とは陽炎の立つところ><茅花流しの只中にゐて相聞え><てっちりや徹頭徹尾吉良贔屓>
・加治幸福(かじ・こうふく)1928(昭和3)・5・8-・埼玉生・「天為」「花鳥来」・『冬銀河』・<寒鯉の一瞥にあふ秘園かな>
・梶川みのり(かじかわ・みのり)・「童子」・『転校生』(2004)・<石叩コンクリートを叩きをり><わが肩に霞網めく黒ショール>
・柏禎(かしわ・てい)1916(大正5)・9・6-・石川生・「万象」・『河口』『ぬばたま』『逃げ水』・<日脚伸びたりとソファーに横たはる>
・柏本初代(かしわもと・はつよ)・和歌山市在住・「百鳥(ももとり)」・<蟷螂の思ひあぐねし貌も枯れ><寒き夜や壁より影をはがし立つ><風入る人のこころのうらおもて>
・片山智恵子(かたやま・ちえこ)1929(昭和4)・3・23-・愛媛県在住・「百鳥(ももとり)」・<結願の寺の椿はふまずゆく><茄子南瓜俳画の如く置かれたる><酒樽を軒に置きたる残暑かな>
・梶山千鶴子(かじやま・ちづこ)1925(大正14)・2・12-・京都生・「きりん」主宰・『一の矢』『鬼は外』『結』・<雪の春つらなってくる笹だんご>
・片山花御史(かたやま・かぎょし)1907(明治40)・10・5-・兵庫生・「銀河系」主宰・『工人』『白い葦』『花季』・<柿をたべて 応接台にも秋がきた>
・片山桃史(かたやま・とうし)〔本名、隆夫〕1912(大正元)・8・23ー1944(昭和19)・1・21・兵庫県黒井村生・鴻池銀行勤務、東部ニューギニアで戦死。俳句ははじめ「鬼灯」で西山泊雲に師事、ホトトギスを経て、日野草城の「旗艦」創刊に参加。中国大陸を転戦しながら戦争の真実を俳句に刻んだ。再度応召された東部ニューギニアで戦死、32歳。・『北方兵団』(1940・三省堂)・<なにもない枯原にいくつかの眼玉><兵隊の町に雪降り手紙くる><地の涯へ地の涯へひと粛とゆく><我を撃つ敵と劫暑を倶にせる><雪ふれり酔ひて人らはみなやさし><雨はよし想い出の女みな横顔><死の近き顔と思ひぬ死ぬもよし><ひぐらしや人びと帰る家もてり><黄天にキリストのごと落伍せり><砲音に鳥獣魚介冷え曇る>
・片山梯(かたやま・やすし)1926(大正15)・5・20-・兵庫生・「藍」・『揺籃』・<保冷車に海の匂いや草青み>
・片山由美子(かたやま・ゆみこ)1952(昭和27)・7・17-・千葉生・「狩」・『水精』『天弓』『風待草』『片山由美子句集』・<蘭の香やむかし洋間と呼びし部屋><しぐるるやほのほあげぬは火といはず><落鮎や定かならざる日の在り処(ど)>
・勝又星津女(かつまた・せつじょ)・1923(大正12)・3・10-・樺太生・「北の雲」主宰、「白露」・『絹の川』・<一書得て心満ちたる松の内><零下十五度北にまだ北があり><八月のある日がらんと山の駅>
・勝村茂美(かつむら・しげみ)
・1936(昭和11)・7・10-・東京生・「風景(ふうけい)」主宰・『ドリアン』『バーボンはいかが』『封印』・<心まで梳いて寒の和紙できる>
・【桂信子】(かつら・のぶこ)〔丹羽信子〕1914(大正3)・11・1~2004(平成16)・12・16・大阪生まれ・10代で新興俳句のリーダー日野草城の句にひかれ、師事。結婚後2年で夫の死別。・会社を定年退職した70年、俳誌「草苑」創刊主宰。・夫との死別の悲しみを込めた句集「月光抄」などを経て、「新緑」で77年に現代俳句女流賞、92年に「樹影」で第26回蛇笏賞、99年には現代俳句協会大賞を受賞。みずみずしい感性に基づく叙情的な作風で知られた。・『月光抄』(1949・3)、『女身』(1955・11)、『晩春』(1967・10)、『新緑』(1974・2)、『初夏』(1977・8)、『緑夜』(1981・9)、『桂信子句集』(1983・6)、『草樹』(1986・6)、『樹影』(1991・12)、『花影』(1996・12)、『草影』(2003・6)、著書、『草花集』(1976・1)など。・<ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜><ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ><ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき><たてよこに富士伸びてゐる夏野かな><窓の雪女体にて湯をあふれしむ><すすき野に肌あつきわれ昏れむとす><りんご掌にこの情念を如何せむ><賀状うづたかしかのひとよりは来ず><逢ひし衣を脱ぐや秋風にも匂ふ><湯上りの肌の匂へり夕ざくら><湯上りの指やはらかし足袋のなか><衣をぬぎし闇のあなたにあやめ咲く><冬滝の真上日のあと月通る><雪たのしわれにたてがみあればなほ><外套のなかの生ま身が水をのむ><きさらぎをぬけて弥生へものの影><花の咲く一日前のさくらの樹><ごはんつぶよく噛んでゐて桜咲く><桶あれば桶をのぞいて十二月 :「緑夜」><郭公や夜明けの水の奔る音:「緑夜」><クリスマス妻のかなしみいつしか持ち:「月光抄」><元日や如何なるときも松は松>
・角光雄(かど・みつお)1931(昭和6)・7・1-・広島生・「あじろ」主宰、「同人」「晨」・『菊しぐれ』『薫風』『栗ごはん』・<夕涼や七ツが十と孫に言う><夕立や今日があとかたなくなりぬ><雲つどふ青嶺や遥かなる露月>
・加藤あきと(かとう・あきと)1932(昭和7)・12・4-2003(平成15)・12・5・東京生・「山河」代表・<日当りのいい球形の目覚めかな><生まれ出て早くも花粉まみれなり>
・加藤あけみ(かとう・あけみ)1952(昭和27)・3・16-・東京生・「ホトトギス」「花鳥来」「円虹」・『細青さいせい』(2000)・<中庭は立方体や秋日濃し><クレッシェンドデクレッシェンド若葉風><切り株はまだ新しく春隣><石投げてみたくなるほど水澄めり>
・【加藤郁乎】(かとう・いくや)1929(昭和4)・1・3~・東京生まれ・父俳人「紫舟」。西東三鬼に感化・『球體感覚』(1959)『えくとぷらすま』『眺望論』『終末領』『形而情学』『荒れるや』『遊牧空間』『牧歌メロン』『ニルヴァギナ』『かれ発見せり』『エトセトラ』『詩篇』『姦吟集』『出イクヤ記』『後方見聞録』・<昼顔の見えるひるすぎぽるとがる :「球体感覚」><冬木この一回性の森を成し><13階の死美人から排卵がとどいている><二十代で詩人それからを越境する他人><北!いま南中の羔(こひつじ)一揆><E=mC2この霧函に優曇華を憑けよう><しぐるゝや世づかぬ家の俳大工><出るものは俄か文人ところてん><日かみなり机をすゑて酌みはじむ>
・加藤逸人(かとう・いつじん)〔別号、学癖・思水堂〕ー1829(文政12)11・3狂乱自殺:56歳・尾張枇杷島の富商。俳諧は初め武藤白尼、のち道彦に学んだ。・『叩斎集』・<梅白し草の戸開け瓢酒>
・加藤燕雨(かとう・えんう)〔本名、鉦司〕・1920(大正9)・2・20-2003(平成15)・1・13・愛知県豊田市生・「松籟」創刊主宰・『梅韻』(平成1)、『竹韻』(平成8)、『松韻』(平成12)、『日々風韻』(平成13)<末黒野の限りふるさと離れ得ず><寒鯉の俎上そのまま目つむりて><夕紅葉塔はそのまま弥陀如来>
・加藤覚範(かとう・かくはん)〔本名、覺範〕・1920(大正9)・1・23-2002(平成14)・6・29・埼玉県生・「旗艦」「春燈」「橘」・『早春』『風の音』・<畦焼くやわが社稷にて墳墓の地><一ト電車早くもどりし新茶かな>
・加藤かけい(かとう・かけい)〔本名、亮造〕・1900(明治30)・1・15-1983(昭和58)・3・4・名古屋市生・「馬酔木」「天狼」、「環礁」主宰・『浄瑠璃寺』『生涯』『捨身』・<仏法僧月は臥床の下に照る><うぐいすやわが絶命も妙なるかな><墓洗ふために汽車に乗り船に乗り>
・加藤かな文(かとう・かなぶん)1961(昭和36)・9・6-・愛知県生・「家」・(昼顔の高さに風の生まれけり)
・加藤暁台(かとう・きょうたい〔けうたい・ぎょうたい・ぎょうだい〕)〔周挙。通称、平兵衛。別号、也(他)朗・竜門・白一居・買夜子・暮雨巷(庵)〕1732(享保17)9・1-1792(寛政4)1・20(61歳ー京都寺町大雲院)【曉台忌】・名古屋生・もと武士・武藤巴雀を師とし蕉風復興をとなえ、二条家から中興宗匠の称を得蓼太とともに俳諧の指導的立場にあった・『蛙啼集』『秋の日』『姑射文庫』『風羅念仏』『花のしるべ』『曉台句集』・<日暮れたり三井下る春の人寺><ゆきどけや深山曇りを啼く烏><火ともせばうら梅がちに見ゆるなり><うぐひすやもののまぎれに夕鳴きす><海の音一日遠き小春かな><春風や浅田の小浪あさみどり>
・加藤憲曠(かとう・けんこう)・1920(大正9)・4・30-・秋田生・「薫風」主宰・『海猫』『羽根砦』『鮫角灯台』『島の越』『杁宿』『静寂』・<木々の間をくぐりきし光母子草><囀や牛を散らして大牧場><ひきがへる石の顔して石の傍><熊笹の中に日当る花すみれ><吾が影に蝌蚪の集まる妻の国><岩木嶺を逆さに沈め田植終ふ>
・加藤耕子(かとう・こうこ)1931(昭和6)・8・13-・京都生・「耕」主宰、「Ko^」・『A Hidden Pond』『春の雲』『西も東も』・<修験者の通り過ぎけりしろすすき><蟻歩む直に平にこの世あり><帰天さる散華に沙羅の花の白>
・加藤三陽(かとう・さんよう)1923(大正12)・1・26-・神奈川生・「かまかつ」主宰・<地球儀の海の溢れて昼寝覚む>
・加藤静夫(かとう・しずお)1953(昭和8)・5・16-・東京生・「鷹」・<東京の春あけぼのの路上の死><乗つてすぐ坐れて桃の日なりけり><中肉にして中背の暑さかな>
・加藤邪呑(かとう・じゃどん)1940(昭和15)ー・兵庫県生・「花野句会」(仙台)世話人・<水曜日はどこでしょう 見失った白鳥です><古里は会釈してポカリスエットのよう><朝は九条の隙間にある危な絵>
・【加藤楸邨】(かとう・しゅうそん)〔本名、建雄〕1905(明治38)・5・26~1993(平成5)・7・3(88歳)・山梨県生まれ・大学教授・村上鬼城に私淑したのち、水原秋桜子門に入る・「寒雷」主宰・中村草田男、石田波郷とともに人間探求派と称され真摯な内面的句風、金子兜太、森澄雄など多くの俊才を育てた。・『寒雷』『沙漠の鶴』『野哭』、著書『芭蕉講座』・<火の奥に牡丹崩るるさまを見つ><鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる><雉子の眸のかうかうとして売られけり><蟇(ひきがえる)誰かものいへ声かぎり><かなしめば鵙金色の日を負ひ来><冬の虫言はぬ一言とはに生く><白地着てこの郷愁のどこよりぞ :「颱風眼」>
・加藤水万(かとう・すいまん)1930(昭和5)・12・8-・岐阜生・「日輪」主宰・『埠頭』『鰯雲』『恩寵』・<野の色の飛騨の蜉蝣野に沈む>
・加藤知世子(かとう・ちせこ)・1909(明治42)・11・20-1986(昭和61)・1・3・新潟生・「寒雷」創刊主宰、「若竹」、「馬酔木」・夫は俳人の加藤楸邨・『冬萌』『朱鷺』『太麻由良』・<怒ることに追はれて夫に夏痩なし><夫がき蜂がくすたこらさつさとすさるべし><何か負ふやうに身を伏せ夫昼寝>
・加藤爽暁(かとう・そうぎょう)〔本名、傳〕1922(大正11)3・21-2002(平成14)・9・22・鳥取県生・「牡丹」「踏青」「ホトトギス」「雪解」・<鰤敷に大山裾を沈みたる>
・【加藤三七子】(かとう・みなこ)〔本名、同〕1925(大正14)・4・27~2005(平成17)・4・5・兵庫県龍野町生まれ・歌誌「水甕」を経て俳句へ転向。「ホトトギス」「九年母」に投句。「かつらぎ」入会・「黄鐘(おうじき)」創刊主宰・『萬華鏡』『戀歌』『朧銀集』・<ねじれたる木のあり日脚のびにけり><草笛の音に余りたるこころかな><誰をおもふひかくもやさしき雛の眉><息つまるまで不知火の闇の濃し><冬の庭石みな眠るかたちして><闇となるかがやぎきもてる泉かな><ほろびやすきものをおもひて青き踏む><彼岸より此岸へ螢うつつなる><翁草ひとりごころに咲きにけり>
・加藤瑠璃子(かとう・るりこ)1936(昭和11)・9・4-・東京生・「寒雷」・『白牡丹』・<立ち止まること多かりき野分なか>
・【角川源義】(かどかわ・げんよし)1917(大正6)・10・9~1975(昭和50)・10・27(58歳)《秋燕忌》・富山県生まれ・角川書店創立・総合俳誌「俳句」創刊。「河」創刊・<花あれば西行の日と思ふべし><ロダンの首泰山木は花得たり>
・角川照子(かどかわ・てるこ)1928(昭和3)・12・14-2004(平成16)・8・9・東京生・「河」主宰・『幻戯微笑』(昭和56)、『阿吽』(昭和58)、『秋燕忌』(平成7)、『花神俳句館&角川照子』(平成11)・<鉛筆に木の香のありし夜の秋><ほつぺんに今年の息を通わせる>
・【角川春樹】(かどかわ・はるき)1942(昭和17)・1・8~・富山県生まれ・「河」副主宰・亡父角川源義創業の角川書店を継承・『信長の首』『流され王』『補陀落の径』・<向日葵や信長の首斬り落す :「信長の首」><かなかなや返事のありし蔵の中><黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎに来る><晩夏光ナイフとなりて家を出づ><流されてたましひ鳥となり帰る><連翹や村のはじめに火伏神><白南風や古きジャズ弾くピアノ・バー>
・【金尾梅の門】(かなお・うめのかど)〔本名、嘉八(旧名嘉一)〕1900(明治33)・7・17~1980(昭和55)・12・9〔俳句辞典〕・富山県生まれ・臼田亜浪に師事・若山牧水の「創作」に参加・「季節」発光主宰・『晨水居句集』『古志の歌』『鳶』『鴉』『鴎』・<魚眠るふる雪のかげ背にかさね><冬虹の中いっぽんの藁ひびく><しんしんと雪匂ふ日の盛りかな><とびからすかもめもきこゆ風ゆきげ><みどり児のこぶしに寒ンの極まりぬ><こほろぎの闇こほろぎの貌浮かぶ>
・金子敦(かねこ・あつし)
1959(昭和34)・11・29-神奈川生・「新樹」・『猫』、『砂糖壺』(2004)、『冬夕焼』(2008)・<昏きくらき鐘の中より蝶出づる><猫じやらし抜くとき猫に見られけり><春の雲よりノンちゃんの声聞こゆ><いつせいに子らゐなくなる夏座敷><江ノ電が来るよ木の芽を揺らしつつ><夏休みマーブルチョコの赤青黄><貝殻を洗つてゆきし大夕立><大いなる花野の果ての無人駅><月を待つ波のかたちの和菓子かな><冬の虹母の義足を干しに出て><冬晴の富士へ押し出す車椅子><吸飲みに残りし水や冬夕焼><いま母を詠まむ風花消えぬ間に><しみじみと昭和の匂ふ炬燵かな>
・金子君枝(かねこ・きみえ)・山口市在住・「百鳥(ももとり)」・<父の忌や地酒と寒の水供へ><ほうたるの峡深ければ高く舞ひ><夫がつくる生姜の粗き葛湯かな>
・金子潤(かねこ・じゅん)1930(昭和5)・6・26-・岡山生・「地平」代表、「陸」・『虹を見て』・<入学の子が寝て雨の幹ふくらむ>
・金子晉(かねこ・しん)・1932(昭和7)・11・19-・大阪生・『花骨集』『蟠桃曲』『月下變』・<老いたれば水の軋みが聴えくる>
・金子青銅(かねこ・せいどう)〔本名・満〕・1945(昭和20)・3・21-2010(平成22)・8・8・・岐阜県関市生・「白露」創刊同人・「雲母」飯田龍太に師事。後広瀬直人に師事。・『満月の蟹』(昭和59)、『三伏』(平成11)、『膩蝉(あぶらぜみ)』(平成19)他・<からまりてゐても冷たき穴惑><青すすき卑弥呼が髪に挿すことも><球磨川に大和タケルの月の宴><一本の矢が寒椿掠めけり><三伏や美濃の要は金華山>
・【金子兜太】(かねこ・とうた)〔本名もおなし〕・1919(大正8)・9・23~・埼玉県生まれ・日本銀行行員。・戦後、社会性、造型を説き、前衛俳句の旗手として一時代を画した。・「海程」主宰・『少年』『蜿蜿』『詩経国風』『皆之』『東国抄』ほか著書多数。・<銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとくに><湾曲し火傷し爆心地のマラソン><梅咲いて庭中に青鮫が来ている><三日月がめそめそといる米の飯><頭痛の心痛の腰痛のコスモス><どれも口美し晩夏のジャズ一団><曼珠沙華どれも腹出し秩父の子><人体冷えて東北白い花盛り><暗黒や関東平野に火事一つ>
・参考お気に入り<金子兜太の海程句会>
・金子皆子(かねこ・みなこ)〔本名、みな子〕・1925(大正14)・1・8-2006(平成18)・3・2・埼玉県秩父郡生・「風」のち「海程」・金子兜太の妻。・『むしかりの花』『黒猫』『山木査子』『花恋2』(2005)・<こんなに水いろ空立上がる冬の野に><老鶯景にあり君あらまほし><枯野ゆきつつ縺れる中学生><凌霄花赤きときマーラーに直に><ブルー孔雀花が咲きました会えます><満月なり慕情は踝をのぼり><銀杏黄葉の全重量に抱かれ><柿赤し人生荒行と思う><下弦の月檀の花の細細ささささ:辞世>
・金子幽霧(かねこ・ゆうむ)・1928(昭和3)・527-・北海道生・「柏林」主宰、「ホトトギス」「花鳥」・『古稀』・<ものの芽やまだ色持たぬもの多し>
・金箱戈止夫(かねばこ・かしお)1928(昭和3)・6・3-・長野生・「壷」主宰・『花さびた』『朱桜』『扁舟』・<氷上に転ぶと思ひ転びけり>
・金久美智子(かねひさ・みちこ)・1930(昭和5)・3・19-・東京生・「氷室(ひむろ)
」主宰・『氷室』『踏絵』『朱鷺色』・<気がつけば取り残されてゐし鴨よ>
・狩野みほ(かのう・みほ)・横浜市在住・「百鳥(ももとり)」・<照紅葉橋を渡らば異界とぞ><満開の桜の下の子守唄><九十の母の名はてふ蝶生る>
・菅野谷高政(かのや・たかまさ)〔本名高政、通称、孫右衛門、号は惣本寺伴天連社高政とも〕生没年不詳ー1703(元禄16)頃没説あり・京都生・連歌師、貞室系のと宗因系、京都談林俳諧の中心的人物・『俳諧絵合』『是天道(これてんどう)』『天朗立(ほのぼのたて)』・『惣本寺俳諧中庸姿(つねのすがた)』・<世の中の夢盗人のほととぎす><鮨鮒や終は五輪の下紅葉><目にあやし麦藁一把飛ぶ蛍><木食や梢の秋になりにけり>
・加畑吉男(かばた・よしお)1926(大正15)・9・7-1971(昭和46)・7・1・千葉生・富安風生に師事・「若葉」「春嶺」<
こがね虫書屋にて死すピアノ曲><焼藷を買ふ三日月の出てをりし><豊年や夕映に新聞を読み>
・鎌倉佐弓(かまくら・さゆみ)1953(昭和28)・1・24-・「吟遊」・『潤』『天窓から』『走れば春』・<太陽が味方について草いきれ>
・鎌倉ひろし(かまくら・ひろし)・神戸市在住・「百鳥(ももとり)」・<犬の声犬を呼ぶ声枯木山><冬の水船の重さに揺れてゐる><風花や赤毛のアンといふ酒場>
・鎌田石尊(かまた・せきそ)1916・5・10-2000・11・12(84歳)、東京府生、「春光」同人<短日や水の上吹く風とがる>
・鎌田次男(かまた・つぎお)・「紫」・『亀の唄』(2006)・<親戚のような顔して黴育つ>
・上井正司(かみい・まさし)1932(昭和7)・9・10-2010(平成22)・6・30・東京生・「外光」創刊主宰・『外光』(昭和50)、『荒神興』(昭和60)、『師訓』(平成7)・<大川にいっぱいに波秋高し><札所こここ捨て田蛙鳴く>
・【神尾久美子】(かみお・くみこ)〔本名、洋子。旧姓、有馬。〕1923(大正12)・1・28~・福岡市生まれ・「菜殻火」「雲母」「白露」、「椎の実」主宰。・野見山朱鳥・飯田龍太・廣瀬直人に師事・『掌』(1963・12)、『桐の木』(1978・10)、『中啓』(1983)、『山の花』など・<葛切や川の千鳥は川に昏れ><煮凝てふ日暮たのしむにも似たり><菱取りのもろ手のすぐに紅潮す><山彦の通り抜けたる涼気かな><鐘守の一秒大事木の実降る><夫の一書一書を正し年の暮><炭火の香どこかに夫の声のして><幹になほ青さのこれり枯芭蕉><師の家も月夜の一戸鰯雲><雪催ふ琴になる木となれぬ木と>
・神尾季羊(かみお・きよう)〔本名、匡〕1921(大正10)・1・2-1997(平成9)・6・16・愛媛県松山市生・「ホトトギス」、野見山朱鳥に師事し「菜殻火(ながらび)」に参加する。後に藤田湘子の「鷹」に参加、1954より「椎の実」を主宰。・「石室」(1961・11)、「権」(1981・9)、「同席」()1992・11、遺句集「日向」(1999・6)・<野生馬の天や龍胆よりも澄む><国生みの日向大夕立はよし>
・【神蔵器】(かみくら・うつわ)〔本名、政彰〕1927(昭和2)・2・22~・東京生・石川桂郎に師事・「風土」
主宰・
・『木守』『心後』『幻』・<海の風いま山の風鏡餅><朧かな一と夜かぎりの海鼠飼う><くれなゐの空のさざ波滝ざくら><天の川かけてこの世に妻の留守><おうおうと能舞台雪椿かな>
・神谷瑛子(かみや・えいこ)・東京都在住・「百鳥(ももとり)」・<栗の木に梟ねむる長寿村><ぽつぺんを二度吹き三度目は吹かず><菜の花に菜の花色の月上る>
・亀田憲壱(かめだ・けんいち)・「銀化」・『果肉』(2006)・<月光や果肉に薄き刃を入るる><初夢の深みに母を置いて来し><くらがりへ咳を逃がしてやりにけり><腰おろす秋思の幅をあけ合ひて><いつからかその中にをり蟻の列>
・亀田虎童子(かめだ・こどうし)1926(大正15)・6・23-・埼玉生・「萱」代表、「雷魚」・『亀田虎童子句集』『両端』『百里』・<つれづれのこと省きたる落し文><意地をもて入歯で齧る試食梨><菜虫とる母のなければ畑もなし><かまどうま竈なき世を生きのびし><九十九里生まれならずも鰯雲><無人売場どうするでなき瓢買ふ>
・亀田宏子(かめだ・ひろこ)・佐野市在住・「百鳥(ももとり)」・<新涼や無地の器に卵割る><はつ秋の湖の光へ椅子廻す><正常の証拠の汗と言はれけり>
・亀割潔(かめわり・きよし)1965(昭和36)・3・1-・<薫風に寝かせコントラバスの嵩>
・加本泰男(かもと・やすお)1955(昭和30)・6・11ー2005(平成17)2・15:静脈瘤破裂で急逝・大阪市生・左足の先天的障害と闘いつづけた。境涯句の俳人。信用金庫勤務。有馬朗人の「天為」に入会。・遺句集『車椅子』(平成22)・<自転車をかついで走れ夏男><すみませんすみません車椅子の夏><昔かわいい母であるかな秋の雲><ぞろぞろと出て来る白き守宮の夜><冬の空から病院を見ておりし>
・【加舎白雄】(かや・しらお)
〔吉春。通称、五郎吉。別号、舎・暁鳥・白尾・白尾坊・春秋庵〕1738(元文3)~1791(寛政3)・9・13(53歳ー品川海晏寺)・「はくゆう」の通称で「しらお」・信州上田藩生まれの武士・江戸春秋庵に4千人の門人をなす。終生酒を愛し独身を通す・水間枯徳系。安永九年(1780)江戸日本橋に春秋庵を結び、俳壇に一勢力を築いた。・『春秋橋』『寂栞』『春秋夜話』『田毎の春』『文庫」・『面影集』『俳諧明化』『白尾句集』『白夫夜話』『俳諧名家録』・追悼句集「ななとせの秋」「祭車」「冬瓜集」「一鐘集」〔白雄八弟
<長翠、巣兆、道彦、保吉、碩布、春鴻、葛三、虎杖>〕・<はるかぜに吹かるる鴇ときの照羽かな><姨捨や月をむかしのかがみなる><元日や大樹のもとの人ごころ><鶴をりて人に見られる秋の暮><去年より今年仏の別れかな><人恋し灯もし頃を桜散る><花芥子に組んで落ちる雀哉><人恋し灯ともしごろをさくらちる><菖蒲湯や菖蒲寄ろくる乳のあたり><海はれて春雨けぶる林かな><子規なくや夜明けの海がなる><春いまだ田毎の雪間雪間かな><土舟や蜆こぼるるゝ水の音><明日よりは身を夏旅の今宵哉><さうぶ湯にさうぶ寄りくる乳のあたり><明易き夜を泣く兒の病かな><焚火してもてなされたるついりかな><傘さしてふかれに出し青田かな><草よ木よ今朝秋立つと人の言ふ><川面や花火のあとの楫の音><火や父の面影母の顔><秋日和鳥さしなんど通りけり><立出て鶏の雛見る小春かな><落し来る鷹にこぼるる松葉かな>
・狩野みほ(かりの・みほ)1926(大正15)・1・14-・東京生・「百鳥(ももとり)」・『銀器』・<わが町の原っぱの草紅葉かな><数え日のラジオの落語早寝して><冬の月どんぐり林がうと鳴り>
・【軽部烏頭子】(かるべ・うとうし)1891(明治24)・3・7~1963(昭和38)・9・20・茨城県生まれ・東大では水原秋桜子と同級。馬酔木第一期同人。・<蚪流れ花びらながれ蝌蚪流る><冬夕焼病めば険しく処女の相><法師蝉遠しや木無き砂町は>
・河草之介(かわ・そうのすけ)1933(昭和8)・1・17ー2005(平成17)・1・3・北海道浦河町生・「氷原帯」「広軌」・『円周率』・<円周率の暗誦蛍消えるなよ>
・河合曾良(かわい・そら)〔岩波庄右衛門正学。通称、河合惣五郎。〕1649(慶安2)-1710(宝永7)5・22(62歳ー壱岐国勝本の能満寺)・信濃生・武士・蕉門、鹿島詣、おくの細道に随行『雪まろげ』・『曾良日記』・<剃りすてゝ黒髪山に衣かえ><行き行きて倒れ伏すとも萩の原><卯の花をかざしに関の晴着かな><なつかしや奈良の隣の一時雨><松島や鶴に身をかれほととぎす><菜の花の盛りに一夜啼く田螺><>・【蕉門十哲:<杉山杉風さんぷう><宝井(榎本)其角きかく><服部嵐雪らんせつ><内藤丈草じょうそう><森川許六きょりく><立花北枝ほくし><各務かがみ支考しこう><向井去来きょらい><志太しだ野坡やば><越智おち越人えつじん>・以上諸説の中の一つ。代わって以下の門人の中から入る事もある。・<河合曾良そら><広瀬惟然いねん><服部土芳とほう><天野桃隣とうりん>】
・川井乙州(かわい・おとくに)
〔本名、又七〕ー1720(享保五)・1・3没:享年64歳・奥の細道(金沢)で芭蕉と出会い門下となる。大阪で芭蕉死去の際はすぐ自宅に遺骸を引き取り、入浴させて衣類を取り替えたり仮供養を行っている。芭蕉智月尼(鶯に手もと休めむながしもと)の実弟。妻の荷月も俳諧をよくする。・芭蕉の遺稿『笈の小文』(宝永6)、『それぞれ草』(正徳5)・<ばせう葉や打かけし行く月の影><虫よく鳴いて因果が尽るなら><暁のめをさませよはすの花><すヾ風や我より先に百合の花><馬かりて竹田の里や行しぐれ>
・川井智月尼(かわい・ちげつ)生年不詳ー1708年頃・近江大津の荷問屋川井佐左衛門の妻。初め御所に宮仕えをしていた。夫と死別後尼となり、弟の乙州を嗣養子にした。・『雀を放つ詞』・<やまざくらちるや小川の水車><つぼみなる梅あたたむる春日哉><名月に鴉は声をのまれたり><見るさえ旅人さむし石部山><麦藁の家してやらん雨蛙><しら雪の若菜こやして消にけり>
・川井玉枝(かわい・たまえ)1912(大正1)・8・15-2003(平成15)・2・1・東京日本橋横山町生・「山火」「山暦」・『月日貝』(昭和48)、『おろろん鳥』(昭和53)、『霧の扉』(昭和60)、『ゆりかもめ』(平成4)、『淋しい獏』(平成9)・<蝦が身を細らすと言ふ良夜かな>
・河合照子(かわい・てるこ)1921(大正10)・7・7-・兵庫生・「南風」・『朱の木』『遠明』『望』・<誰も見上ぐ阿像吽像さくら咲く>
・河合未光(かわい・びこう)1897(明治30)・11・13-2000(平成12)・9・11ー・東京本所生(茨城へ届け)、渡辺水巴に師事、「曲水」同人<山笑ふ花笑ふ老笑はでか>
・河内静魚(かわうち・せいぎょ)1950(昭和25)・8・11-・〔第4回朝日俳句新人賞準賞〕<陶枕や日ぐせとなりし天気雨>
・河合凱夫(かわい・がいお)1921(大正10)3・8ー1999(平成11)・7・29・埼玉県生・「桜草」「南柯」「花俳句」「東虹」「麦」、「軸(じく)
」創刊主宰・『藤の實』(昭17)『対峠』『飛礫』『河合凱夫句集』『草の罠』『河合凱夫全句集』。随筆集「くすのき春秋」・遺句集「はればれと」(平12)・<何か一つ落ちたる音の冬の空><脳天に向日葵高くなり昏るゝ><風の老婆抱きすくめては麦を刈る><残照が痒いヨットの帆をたたむ><驟雨に混む電車誰かの骨鳴れり>
・河合由二(かわい・ゆうじ)1918(大正7)・4・4-・東京生・「銀河(ぎんが)
」主宰・『河合由二句集』『世相と三冊子評釈』『三つ茶の實』
・川口咲子(かわぐち・さきこ)〔本名も咲子〕1936(昭和11)・3・30-2002(平成14)・1・26・東京生・俳人深川正一郎の長女・「ホトトギス」「山会」・『花日和』・<咲けば散る運命の花と思ひ見る>
・川口重美(かわぐち・しげみ)〔初号、梟太〕1923(大正12)・7.21-1950(昭和24)・4・15・下関生。「風」「寒雷」「万緑」などに投句、澤木欣一氏の推挙で「風」同人。25歳で睡眠薬心中を計り死亡。澤木氏に「純粋な貴種」と言わせた。・遺句集『川口重美句集』(昭和38)・<渡り鳥はるかなるとき光りけり><炎天下穴に沈めり穴掘りつ><野火を見てきて椅子が持ち去られゐし><単帯きりゝゝ巻いて人を恋ふ><青表紙とぢて寝にたつ火蛾の夜><青林檎うれしき小指噛みにけり><エルテルの悩みに菫おしはさみ><短夜の寝顔ちかぢか見られゐし><霜柱青春の骰子七も出でよ>
・川口比呂之(かわぐち・ひろし)〔本名、洋〕1930(昭和5)・6・23-2003(平成15)・6・14・東京浅草生・「鴨」・『近景』(昭和58)、『ずっころばし』(平成5)・<生き残るための冬萌踏んで行く><波乗りに似る蜻蛉の夕日乗り>
・【川崎展宏】(かわさき・てんこう)〔展宏(のぶひろ)〕・1927(昭和2)・1・16~2009・11・29(平成21)82歳・広島県生まれ・明治大学法学部教授・東京都立八中から面識のあった加藤楸邨に師事・「寒雷」「杉」同人。「貂(てん)」創刊代表・『葛の葉』(1973・1)、『義仲』(1978・12)、『観音』(1982・11)、『夏』(1990・9)、『秋』(1997・8)、『冬』(2003・5)、著書『虚子から虚子』『俳句初心』など・<万屋に秋は来にけり棒束子><梅雨の雀つゆのすずめと鳴きにけり><八月の吐息の残る西の空><八月を送る水葬のやうに><「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク><天の川水車は水をあげてこぼす><一葉忌とはこんなにも暖かな><胸の幅いつぱいに出て春の月><あらぬ方へ手毬のそれし地球かな>
・川崎陽子(かわさき・ようこ)1937(昭和12)・8・25-・新潟生・「河」・『朱鷺の島』<酔ひ足りて魚となりたる桜どき>
・川崎慶子(かわさき・よしこ)・1934(昭和9)・1・1-・鹿児島生・「大楠」「晨」・『黄落』・<深梅雨の膝に竹籠回し編む>
・川島北葉(かわしま・ほくよう)1925(大正14)・4・2-・北海道生・「えぞにう」主宰・<燈台へ岬細りゆく夏の潮>
・川島朗生(かわしま・ろうせい)〔本名、一男〕1923(大正12)・8・2-2002(平成14)・2・4・静岡県清水市生・「濱」「畦」「松の花」・『篝守』・<薪足して暗きへ花の篝守>
・川田朴子(かわだ・ぼくし)〔本名、長孝〕・1926(大正15)・3・18ー2002(平成14)・1・20(75歳)・高知県吾川郡生・「勾玉」父十雨、母他界後継承主宰・『雪遍路』・<筆山の小鳥下り来て水温む>
・川西和露(かわにし・わろ)〔本名、徳三郎〕・1875(明治8)・4・20-1945(昭和20)・4・1・「阿蘭陀渡」発行・河東碧梧桐に学ぶ・俳書蒐集家・『阿蘭陀集』『和露文庫』
・河野頼人(かわの・らいじん)1932(昭和7)・9・25-・山口生・「木の実」主宰、「雪解」・「夏爐」・『言葉を読むー爽雨・蕪城俳句研究』・<値打ちなど知らねど遺品鮎の竿>
・川端紀美子(かわばた・きみこ)・<昔より同じ絵模様千歳飴>
・【川端茅舎】(かわばた・ぼうしゃ)〔本名、信一。別号、遊牧の民・俵屋春光〕1897(明治30)・8・17~1941(昭和16)・7・17(43歳)・東京生まれ・画家「川端龍子」の異母弟・病弱のため定職につかず・虚子門・脊椎カリエス、喀血、咳などに苦しめられながら凛冽朗朗たる作品を残す。人詠んで「茅舎浄土」という・『華厳』『白痴』・<ぜんまいののの字ばかりの寂光土><ひらひらと月光降りぬ貝割菜><潰(く)ゆるまで柿は机上に置かれけり :「白痴」><金剛の露ひとつぶや石の上><蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ><約束の寒の土筆を煮てください><咳き込めば我火の玉のごとくなり><朴散華即ち知れぬ行方かな(絶唱)*示寂すといふ言葉あり朴散華(高浜虚子)>
関連お気に入り<川端茅舎旧邸跡>
・川端麟太(かわばた・りんた)・ー1987(昭和62)・6・21〔68歳〕・北海道の俳壇の指導者として活躍した・『さっぽろ砂漠』(昭和51)・<芋植ゑる落暉(らくき)は母の背で終る>
・河原珠美(かわはら・たまみ)・「海程」・『どうぶつビスケット』(2002)・<春浅し無敵の動物ビスケット><菜の花や向こうに葬の厨見え><茅花流し最もひかる日向かな><青水無月夜汽車ゆらげば我も煌><きさらぎの陰踏むは鴉の遊び><かまど猫どこの子そんな顔をして>
・【河原枇杷男】(かわはら・びわお)1930(昭和5)・4・28~・兵庫県宝塚市に生まれる・竜谷大文学部卒・永田耕衣に師事・「序曲」創刊主宰・<野菊まで行くに四五人斃れけり :「烏宙論」><身の中のまっ暗がりの蛍狩り><枯野くるひとりは嗄れし死者の声><誰かまた銀河の溺るる一悲鳴><秋風に孵(かえ)りて紐の動くかな>
・【河東碧梧桐】(かわひがし・へきごどう)〔本名、秉五郎(へいごろう)。初号、女月。別号、青桐・桐仙・梧洞・海紅堂主人〕1873(明治6)・2・26~1937(昭和12)・2・1(64歳ー松山市西山の法塔寺)《寒明忌》・愛媛県松山市生まれ・日本新聞勤務・高浜虚子とともに俳壇の双璧。虚子とともに京都三高に入学・新傾向俳句の中心者・ルビ俳句をなす。「三昧」創刊。「海紅」主宰・還暦祝いの席上俳壇引退を宣言。・『新傾向句の研究』『三千里』、句集『碧梧桐句集』『八年間』・<赤い椿白い椿と落ちにけり :「碧梧桐句集」><金剛の露ひとつぶや石の上><亀甲の粒ぎっしりや黒葡萄><曳かれる牛が辻でずっと見廻した秋空だ><この道の富士になり行く芒かな><空をはさむ蟹死におるや雲の峰><春寒し水田の上の根なし雲><からまつは淋しき木なり赤蜻蛉><ミモ-ザを活けて一日留守にしたベットの白く><お前達も貰らいに来たか>
・河村四響(かわむら・しきょう)1926(大正15)・1・22-・「響焔」・<しぐれ煮の大和しじみも雁のころ>
・河村静香(かわむら・しずか)1934(昭和9)・3・18-・青森生・「杉」「薫風」「忍冬」・『加餐』・<除雪車に会う夜神楽の帰りかな>
・河村正浩(かわむら・まさひろ)1945(昭和20)・12・21ー・山口県生・「山彦」主宰。「四季」「草炎」・松澤昭に師事。・『青年』『影法師』『茫茫』『何時しか』・<万葉のねむり落ちゆく蓮の花><うぐひそのつもり山頭火にあらず><風狂に少し深入り薬喰ひ><八月は山の静けさかも知れず><畦焼きの母くろぐろと踊りだす>
・川村黄雨(かわむら・こうう)〔本名、種次〕1863(文久3)・6・29ー1935(昭和10)・6・15(71歳)・江戸赤坂生・貴族院議事課勤務・六日会主宰。秋声会系・<菜の花や新たに出来し渡し小屋><つくづくし汽車の網棚溢れけり><行く秋をいつまで唸る峰の鐘>
・川村碩布(かわむら・せきふ)
1750(寛延3年)~1843(天保14年)・毛呂本郷に生まれた。・俳諧をよくし、天保年中春秋庵白雄の門に入り、その八哲の一人と言われ、文化末年には春秋庵を嗣いだ。武蔵野俳壇に大きく貢献し、生涯を通じて諸国を歴遊し各地に逸話を残している。・〔白雄八弟<長翠、巣兆、道彦、保吉、碩布、春鴻、葛三、虎杖>〕・<春の日や行く人も奈良とまり><色かえぬかはりやまつに秋の声>
・川村智香子(かわむら・ちかこ)・『空箱(からばこ)』(2005)・<大寒の角とがらせて紙を折る><骨壺の蓋のあきゐる朧月>
・川村五子(かわむら・ゆきこ)1942(昭和17)・10・5-・東京生・「鹿火屋(かびや)」・『初幟』・<毛繕ふ猫毬となる四温かな>
・六花庵官鼠(りっかあん・かんそ)〔本名、羽田氏。別号、山南陳人。〕・ー1803(享和3)・6・1没〔沼津浜街道の東方寺葬〕・伊豆田方郡三浦の生。・同郷の乙児の後を継いで陶氏を名乗り、六花庵二世官鼠(かんそ)と号した。ただ吉原の六花庵には入らず、沼津に新庵を結んだ。・嵐雪三世蓼太(りょうた)の門人という縁で芭蕉の顕彰に尽し、各地に芭蕉の句碑を建立している。遠州俳人の系統によれば、「六花庵」は、嵐雪、渋谷六花、松本乙児、陶宮鼠、神田雁赤と続いたが、文化十三年十一月十五日に没し、六花庵は中絶した。・<大寒の不二真白く聳えけり>
・神崎忠(かんざき・ちゅう)1927(昭和2)・12・20-・石川生・『十方』『続十方』『大千』・<行く春や木屋町に沿ふ水の音>
・甘田正翠(かんだ・せいすい)〔本名、正〕1922(大正11)・3・6ー2009(平成21)・9・15・福岡県大牟田生・「末黒野」主宰・『紫木蓮』(平成14)、『曝書』(平成19)・<久女忌の雪の椿となりにけり><穭田にある濃淡や遠筑波>
・菅野啓子(かんの・ひろこ)・宮古市在住・「百鳥(ももとり)」・<明易き駅舎に仰ぐ大時計><手の水の溢れ目高を逃しけり><かげろふを猫の渡つてゆきにけり>
・神原栄二(かんばら・えいじ)1932(昭和7)・7・12-・茨城生・「にいばり」主宰・『棟上』『投餅』『人日』・<春眠の孫といふ顔覗きけり>
へ